水道事業のあゆみ
水道の歴史
▼ 創設への動き
主要市街地であった撫養町は、吉野川下流低地北端に立地し、土地が低く、井戸水は一般にアンモニア、クロムを多量に含んでいたため飲み水に適さず、また水道布設当時、町内戸数3,700戸のうち2,700戸は1斗当たり2銭6厘の買い水でかろうじて生活をしていました。
しかし、水不足がもとで伝染病の発生も多く、さらに町の発展の基礎を確立するため水道建設の要望が高まってきました。
昭和4年、撫養町の主要産業であった塩田50余町歩の廃田によって多数の人が失業となったためその救済とあわせて塩田跡地を工業地帯化するために、水道施設の緊急施工を決定し、ここに上水道実現への道がひらかれました。
当時の撫養町役場と水道事務所 | 創設当時の水道工事 |
▼ 創設工事
昭和4年、それまでの水不足や伝染病の発生などをなくすとともに、産業の開発をはかるため、撫養町議会で上水道の建設を可決し、昭和5年8月に事業認可および起債の認可を得て、当時の大阪市水道部長沢井準一氏の設計により、旧吉野川を水源に工事費42万円、給水区域を撫養町一円、給水人口2万2,000人、1日最大給水量2,640m3の計画とし、この年の12月に着工しました。
通水までに3回の設計変更をおこない、工事費37万5,000円、国庫補助金7万5,000円をもって昭和7年5月に完成しました。
創設当時の北島水源地
▼ 拡張改良工事
昭和22年3月に市制を施行しましたが、これにともなって未給水区域であった鳴門町、瀬戸町、里浦町および大津町と順次拡張をおこないました。
その間、水源・浄水・送配水施設の拡張をおこない、現在では市内のほとんどの地区が給水区域となっています。
創設当時の施設能力
計画給水人口22,000人 | |
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1人1日平均計画給水量 | 80リットル |
1人1日最大計画給水量 | 120リットル |
1日最大計画給水量 | 2,640m3 |
取水井 | 1井 |
取水ポンプ | Q=0.035m3/秒 H=10m 10HP |
緩速沈でん池 | 1池 |
緩速ろ過池 | 3池 |
薬品注入装置 | 1式 |
送水ポンプ | Q=0.035m3/秒 H=75m 75HP |
送水管 | 口径250mm L=6,800m |
配水池 | 容量580m3 |
配水管 | 口径250~72mm L=21,378m |
拡張事業のうつりかわり
給水区域のうつりかわり
▼ 第1期拡張事業
小鳴門海峡をへだてて長年飲料水の不足に悩んでいた鳴門町および市街地北部の瀬戸町地区の発展に対処するため、昭和23年11月に拡張認可を得て、計画給水人口を7,500人、1日最大給水量1,200m3(1人1日最大給水量160リットル、平均給水量100リットル)、事業費3,985万6,000円をもって第1期拡張事業をおこないました。
この事業では、瀬戸町に深井戸2井、瀬戸町および鳴門町に配水池をそれぞれ1池新設し、昭和26年9月に完成しました。
明治橋水管橋 | 当時のポンプ室 |
▼ 第2期拡張事業
昭和21年末の南海地震による地盤沈下で、東部未給水区域の里浦地区、土佐泊地区、斎田発地区の井戸が海水の浸水をうけ、その半数が使用不能となったため、水道布設の要望が急速に高まってきました。
そこで昭和25年11月に拡張認可を得て、事業費1,716万4,000円をもって昭和26年4月から27年5月にかけ、地盤変動復旧および既設水道施設増補改良工事として石綿セメント管8,671mを布設、同時に既設とあわせて計画給水人口3万3,000人、1日最大給水量6,270m3(1人1日最大給水量190リットル、平均給水量130リットル)に変更しました。
▼ 第3期拡張事業
第1期および第2期拡張事業の給水区域拡張と創設区域内の1人1日使用量の増加によって給水量が激増し、円滑な給水を欠くようになりました。
このため、昭和27年9月に拡張認可を得て、事業費1億2,807万5,999円で昭和28年4月から34年3月にかけて第3期拡張事業をおこないました。
この事業では、北島水源地ほか1か所に旧吉野川潜流地下水を水源とする深井戸2井、木津城山に配水池をそれぞれ新設しました。
また、計画給水人口を3万5,700人とし、給水量を1人当たりの増量により9,000m3(1人1日最大給水量250リットル、平均給水量160リットル)に変更しました。
▼ 第4期拡張事業
昭和33年9月認可、市の南部地区である大津町および里浦町粟津地区を給水区域に編入し、事業費1,769万円を投じて2か年にわたって配水管9,800mを布設しました。
▼ 第5期拡張事業
浄水場緩速沈でん池(第5期)
第3期拡張事業において設備された深井戸の湧水量の減少とともに水質が悪化し、とくにクロムやマンガンの含有量が増加したため水源の改良を余儀なくされました。
旧吉野川の表流水を水源として、緩速沈でん池を急速ろ過方式に切り替えて水源浄水施設を1万m3とし、事業費8,261万7,192円をもって昭和35年から3か年計画で、ワンマンコントロール方式の近代設備を設置しました。
▼ 第6期拡張事業
県民待望の小鳴門橋の完成によって、名実ともに観光地として発展途上にある大毛島(野、黒山、大毛、福池地区)および鳴門公園地区に給水拡張するために第6期拡張事業を起こしました。
この事業は、小鳴門海峡636mを海底横断する送水管を布設し、給水人口6,000人、1日最大給水量1,500m3(1人1日最大給水量250リットル)、事業費3,637万1,856円をもって昭和38年8月に完成しました。
▼ 第7期拡張事業
給水区域の拡張および生活水準の向上、産業の発展、経済の成長によって配水量が増加し、とくに夏期には末端地区は水圧が低下し、自然断水の状態になりました。
こうした水量不足の解消と、新産業都市の開発構想の実施による将来の発展を見越した水源、送配水施設の拡張を計画しました。
この事業では、計画給水人口5万3,000人、1日最大給水量2万m3(1人1日最大給水量375リットル)、事業費5億849万円の規模とし、昭和39年12月に認可を得て工事に着手し、昭和43年3月に完成しました。
この概要は、水源を既設の浄水場構内に設けた深井戸の地下水に求め、日量1万m3を取水して既設分とあわせて木津接合井まで送水し、ここから送水ポンプで孫右衛門山、城山の各配水池、新設された妙見山、中山の各配水池に送水できるように水系の整備をおこないました。
そして、孫右衛門山系は撫養町木津の一部、大津町および大麻町東部地区に、城山水系は撫養町南浜、斎田、黒崎、桑島および鳴門町地区に給水するようにしました。また、新設した妙見山水系は、撫養町川東地区、里浦町地区に、中山水系は瀬戸町、北灘町東部地区にそれぞれ給水するようにし、瀬戸町島田島および北灘町櫛木地区に配水管を布設拡張しました。
大麻町牛屋島での600ミリ 送水管布設(第7期) | 妙見山配水池への 送水管布設(第7期) |
▼ 第8期拡張事業
平草送水管 埋設工事(第8期)
昭和42年1月、鳴門市と合併した大麻町では昭和36年7月に知事の許可を得て、計画給水人口1万5,000人、1日最大給水量2,250m3(1人1日最大給水量150リットル)、事業費6,800万円の規模で事業に着手し、翌年の36年7月に大麻町広域簡易水道が完成しましたが、水源が地下水であるため次第に揚水量が減少し、水質が低下して使用不能の状態となりました。
このため、鳴門市浄水場より送水する計画をたて、送水ポンプの新設および一部送水管の布設替えをおこなうために、昭和44年9月に認可を得て第8期拡張事業に着手し、昭和44年10月に完成するとともに、大麻町広域簡易水道を鳴門市上水道に統合しました。
この統合によって鳴門市水道事業は、上水道事業と、北灘町折野・大浦地区の簡易水道事業となり、計画給水人口は上水道事業が6万7,000人、簡易水道事業2,000人、1日最大給水量は上水道事業が2万2,250m3、簡易水道事業は300m3の規模となりました。
▼ 第9期拡張事業
都市計画事業の推進により、旧塩田跡地整備がなされ、昭和46年度には撫養町立岩に県営総合グラウンドが開設されました。
一方、大毛島、島田島開発事業のスカイラインも完成し、これらに対する送配水施設の拡張を早急におこなう必要が生じてきました。
こうした各事業および人口増加の対応のため、計画給水人口7万人、1日最大給水量4万2,000m3(1人1日最大給水量600リットル)、事業費37億1,015万円で、昭和45年度より昭和52年度までの8か年継続事業とする第9期拡張事業に着手しました。
この事業では、配水管の布設や浄水場の高速沈でん池、急速ろ過池、管理本館などの新設、中央配水池の新設(容量1万m3)などをおこない、昭和53年3月に完成しました。
また、この拡張事業によって、北灘町折野および大浦の簡易水道を廃止し、鳴門市上水道に統合しました。
鳴門公園ポンプ場 外観(第9期) | 小鳴門海峡(黒崎-高島) 配水管海底横断布設(第9期) |
▼ 第10期拡張事業
”ふれっしゅ水道”
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昭和7年送水開始以来、9期にわたる拡張工事を続けてきた鳴門の水道はほぼ市内全域を給水区域におさめ普及率も99.8%となりました。しかし、生活水準の向上、生活様式の変化に伴い水の使用量は、ますます増加の傾向にあり、加えてリゾート開発や企業誘致の促進等で、今後水の需要は大幅に増加することが予想されました。このような情勢に対応し市民生活に欠くのできない水を将来ともに安定供給するべく、長期的な展望に立ち、第10期拡張事業に着手しました。
昭和59年5月、事業認可を得て、同年6月起工、平成10年を目標年度として計画給水人口7万5,000人、1日最大給水量5万5,500m3(1人1日最大給水量740リットル)、総事業費23億7,900万円で昭和59年度から平成3年度までの8か年継続事業でした。
この事業では、撫養橋への口径500mm配水管の添加、容量4,000m3の大谷配水池や鳴門公園ポンプ室の築造、浄水場に新設された浄水施設の数々、送水ポンプの新設や増強、送水管、配水管布設による管網の整備と充実等おこないました。将来に向けての水の安定供給を確保し、大谷水系の確立により、効果的かつ経済的な配水が可能となったばかりでなく、各水系の連絡管も密になり、不測の災害時にも対応できる体制が整いました。
浄水場高速沈でん池 | 撫養橋への500ミリ配水管添架 |