なつかしの写真館 鳴門の暮らし
街角の様子や出来事などを紹介します。
大正時代の文明橋
撫養川に架かる文明橋(=写真)は明治3年に架設され、その後数回架け替えられました。
十二神社における大嘗祭式典
大正天皇即位後初めての新嘗祭に奉納される鳴門わかめの記念式。里浦小学校の児童も参列しました(写真=西田素康氏提供)。
宇志比古神社の獅子舞(戦前)
祭礼には獅子舞がつきもの。胡蝶を追いかける獅子が太鼓の音とともに勇壮な舞いを奉納しました(写真=西田素康氏提供)。
林崎料亭・衆景楼
大正時代、林崎の小山にあった料亭。浜屋の旦那衆が通った紅灯の不夜城(写真は大正末期のもの)(写真=西田素康氏提供)。
清光座
南浜の朝日座と両翼をになう。もともとは芝居などの演舞場。戦後、ブームの映画館にくらがえ。昭和35年廃館。跡地は、児童公園となっています(写真=西田素康氏提供)。
大正時代の塩湯(岡崎海岸)
この塩湯は門柱の一本が現存しています。戦後も塩湯がこの地に一時復活されたことがあります(写真=徳島県立文書館提供)。
石園港(姫田)
戦後、旧吉野川を経由し外海とつながる大谷川には、姫田港と総称される中浜・西浜・石園(いその)の3つの船着き場があり、年間40~50トンの瓦が京阪神まで積み出されていました。海岸から約8kmの内陸部にある全国での珍しい「田んぼのなかの港」で、川幅わずか7~8m(写真=西田素康氏提供)。
鳴門市営競馬(写真左)
昭和27年・28年に里浦町で開催されていました。
開設当時の鳴門競艇場(写真右)
昭和28年の開設当初、多くの入場者が訪れた鳴門競艇場。
県立撫養中学校(写真左)
明治43年、撫養町斎田に設立(県立鳴門高校の前身)。
県立撫養高等女学校(写真右)
大正2年、撫養町南浜に設立(現在は県立鳴門渦潮高校に統合された、県立鳴門第一高校の前身)。
第8回国民体育大会を歓迎
昭和28年の秋季国体では四国各地で28の競技が開催されました(写真=旧鳴門駅前~大道商店街間、歓迎の飾り付け)。
小鳴門橋の渡り初め
昭和36年7月30日、小鳴門橋の開通式が行われました。同橋はその日に限り一般に無料開放され、各地から集まった人波は、約5万人にのぼったといわれています(=写真)。
市民会館のローラースケート
昭和37年5月「ローラースケート鳴門市選手権大会」(=写真)が市民会館で開かれました。
国鉄旧鳴門駅(写真上)・移転した鳴門駅(写真下)
昭和45年に鳴門駅は国道を直線化するため300m北の現在地へ移転しました。
鳴門市阿波おどり
鳴門駅西側演舞場で開催された鳴門市阿波おどり(=写真・昭和40年代)。当時は8月12日~14日に行われていました。
にぎわう大道商店街
多くの買い物客でにぎわっている大道商店街(=写真・昭和40年代)。
大道銀天街にアーチとアーケードが完成
昭和52年には、大道商店街にアーチとアーケードが完成しました。
市民大運動会
昭和48年11月18日、市民約5千人が参加して第1回市民大運動会が立岩の県営鳴門総合運動公園で開催されました(=写真)。