Vol.3 大岩賢さん

列伝第3回

 

◆現在は、鳴門市陸上競技協会・鳴門市体育協会の会長を務めるなど、市のスポーツ振興に貢献いただいておりますが、陸上競技を始めることとなったきっかけを教えてください。
私は小学3年生頃から少年野球を始め、将来はプロ野球選手を目指すという大きな夢を持って、中学生の時も朝から真っ黒に日焼けするまでボールを追っていました。中学3年生の夏の大会で敗れ、大きな挫折を味わっていたところ、学校の陸上部員から冬の駅伝に走ってほしいと誘われました。走ることには自信がありましたし、体を持て余していましたので、誘われるまま練習に参加してみました。参加した大会で県大会5位、区間3位の成績を収めたことが陸上競技への大きな転機となり、徳島駅伝の鳴門市選手団に選ばれましたが、本当に嬉しかったですね。その後、どこの高校へ進学するか、また、進学先では硬式野球、陸上競技どちらを選択すべきか悩んでいた時に、当時の鳴門高校陸上競技部の顧問の先生が自宅まで来てくれて、長距離を頑張れば大学にも進学できると薦めてくれました。本当は野球が好きでしたが、「大学に進学できる」という言葉で迷いました。もちろん簡単に大学に進学できるなど無理だと思っていましたが、熱心な勧誘に「よし、陸上競技で大学に行くぞ!」という新たな決意が生まれ、鳴門高校へ進学することとなりました。

◆高校から本格的に長距離選手として陸上競技を始めてみて、どうでしたか。
正直、想像以上に厳しかったです。当時の鳴門高校には、800m走でインターハイ優勝、国体優勝、日本高校記録樹立の偉業を成し遂げた先輩が在籍しており、全国で一番を目指した練習でしたからね。入部して初めての練習日、スピードをつけるために、ウォーミングアップの後、「流し」と呼ばれる100m程度のダッシュを全力で数十本こなしました。これで練習終了と思って喜んでいたら、これからが本格的な練習と聞き、唖然としたことを覚えています。こんな練習を毎日するんだなと。入学当時、同学年の部員は13人いましたが、入部早々、すぐに11人が退部するぐらいですからね(笑)。放課後だけではなく朝練習もしっかりあって、鳴門町に住んでいた私は、毎日朝早くから渡船で通学していたので大変でした。部員が多く退部する中、私も辞めようと考えたことはありましたが、陸上競技で大学に進学するという大きな夢がありましたので、頑張って練習に励みました。この夢は、部活動を続けていくモチベーションの一つでしたね。3年間の練習で、私は長距離の中でも1500メートル障害を最も得意としており、大会で好成績を収めたこともありましたが、偉業を達成した先輩のような活躍には至りませんでした。それでも、真面目に練習に取り組む姿勢等が評価され、大学は陸上競技を通じて、スポーツ推薦で中京大学に進学することができたので、続けていて本当によかったと思いました。

◆高校時代と比べて、大学時代はどうでしたか。
どんな練習が待ち受けているのかなと思いましたが、高校時代よりもさらに厳しい練習でした。高校の練習日初日にも驚かされましたが、大学では、初日から1日40キロ近く走りました。大学周辺の土地勘が全くない状態で、東に西に、街中を走り抜けましたね。また、陸上競技部専用の寮があって、初めての寮生活も経験しました。寮では種目関係なく、陸上競技部に所属している男子部員25人程度で生活していましたが、1年生が先輩の洗濯や食事まで全て準備しなければならず、入部当初は大変でした。思い出す限りでは、4年間で楽な練習日はなかったような気がしますね。

◆厳しい練習のなかで、楽しかった思い出等はありますか。
高校、大学ともに県外遠征は楽しかったですね(笑)。当時は現在のように公共交通機関が発達していなかったので列車をうまく乗り継ぎ、目的地へ向かっていました。携帯電話やパソコンなども普及しておらず、自分たちで時刻表を調べるのは結構楽しかったですし、社会勉強にもなりました。気分転換にもなってよかったですよ。

◆選手として大切にしていたことはありましたか。
いちばんは、健康管理ですね。大学に進学し、20歳を迎えてからは宴会の席も多くありましたが、お酒はほとんど飲まなかったですね。今は、お付き合いとしてよく飲みますが(笑)。長距離選手は体力勝負ですから、自分で体力を落とさないよう私生活には特に気を使っていました。食事では野菜を中心に摂取するなど、体づくりを特に意識していました。

◆大学卒業後はどういった進路をお考えになりましたか。
大学時代に指導者になりたいと思い、中学・高校の教員を目指していました。学校でも教職課程を修了しており、教員として子どもたちに陸上競技を教えたかったんですよ。大学での成果もあって、中学・高校の保健体育の教員免許を持っていますからね。しかし、当時の採用試験は難関で、100人中1人程度の採用という狭き門でした。私以外にも、陸上競技で好成績を残した選手が教員を目指していましたし、教員になるためには何年かかるのだろうかと考えたところ、少し不安になり、断念しました。その後、進路に悩みまし たが地元の鳴門市には陸上競技をはじめ、これまでたくさんの方にお世話になったので、少しでも鳴門市のためにと思い、鳴門市役所を受験し、入庁しました。当時は、鳴門市役所も実業団として陸上競技の活動をしていましたので、入庁後も30歳ぐらいまでは選手として、現役を続けることができました。

◆現在は鳴門高校女子陸上競技部の長距離選手を指導されていますが、きっかけは何かありましたか。
現役を終えた後は、知人からの紹介で長年、鳴門高校男子陸上競技部の長距離選手を指導していました。鳴門市役所を退職後も指導していましたが、その当時、女子陸上競技部に有能選手を揃え、全国で戦える 環境を整えたいという関係者の考えがあって、女子の長距離を指導して欲しいとお願いがあったんですよ。同じ長距離でも男子と女子では練習内容にも差がありますし、正直悩みましたね。それでも指導者として、自分の力で選手を育てたいという想いに変わりはなかったですし、陸上競技には常に恩返しがしたかったので、引き受けました。現在に至るまで、たくさんの生徒の指導に携わってきましたが、卒業した生徒からの進路報告や大会で活躍している姿をみると、やっぱり嬉しいですよ。

◆選手を指導・育成するうえで、心がけていること、重要だと考えていることはありますか。
私が現役の時もそうでしたが、やはり健康管理は最も重要ですね。実は鳴門高校女子陸上競技部の長距離選手専用の寮(名称:うずしお寮)を平成20年に鳴門市内につくり、その運営を私が行っているんですよ。現在、部に長距離選手としては10人在籍しており、そのうち6人がここで寮生活をしています。一番多い年度で、15人ぐらい寮生はいましたね。朝食はお世話人さんが作っていますが、夕食は私が作って部員と一緒にコミュニケーションを図りながら食べています。料理は、大会の1週間前ぐらいまではたんぱく質を多く含んだ料理、大会直前は炭水化物中心の料理にするなど、選手の体づくりをいちばんに考えた献立です。寮生からも私の料理は美味しいと評判ですから(笑)。また、競技力を高めるために毎年、春は京都、夏は熊本で4泊5日程度、全国の強豪校と合同で合宿を実施します。強豪校と練習することで相手から刺激をもらえますし、良い点はどんどん吸収できる絶好のチャンスですから。

◆これからも鳴門高校女子陸上競技部の長距離選手を指導していくにあたって、目標等はありますか。
まず、大きな目標としては、全国高校女子駅伝 徳島県大会での鳴門高校の10連覇です。先日(平成30年11月4日)、7連覇を達成しましたが、県内で10連覇を達成した学校はありませんから、これは当面の目標ですね。選手には常に、「練習した分、結果を出せ」と奮い立たせています。長距離は苦しい時間帯もあり、自分との戦いでもあります。タイムを少し縮めるためにも、相当の練習が必要です。部員たちも大会で優勝を積み重ねることができるようしっかり日々の練習に励んでくれているので、長距離選手に必要な基本的な動作から競技力向上に向けたトレーニングまで、しっかりと指導していきたいと思います。

◆鳴門市陸上競技協会・鳴門市体育協会の会長として、スポーツの普及についてはどうお考えでしょうか。
鳴門市内でスポーツが盛んになり、競技人口の拡大、さらにはオリンピック選手を輩出することになれば嬉しいですね。実際に、私も長年携わっている徳島駅伝で、鳴門市選手団の中からオリンピックに出場した選手もいますし、今後もこの徳島駅伝から鳴門市出身者が世界に羽ばたいてくれることを期待しています。また、スポーツ少年団の活動も盛んなので、学校での勉強はもちろんですが、スポーツにも積極的に取り組んで欲しいです。幼少期は野球やサッカーなど、陸上競技以外のスポーツを選択する子どもたちも多いでしょうが、指導者のみなさんには、そのスポーツに必要な動作を身につけることができる指導をお願いしたいです。子どもたちもそういった指導のもと、大会等で活躍してほしいですね。

◆これから陸上競技をはじめ、スポーツを始めようとしている子どもたちにメッセージをお願いします。
最近は、高校生になってから別のスポーツ経験者が鳴門高校の女子陸上競技部で長距離を始めるケースも増えてきました。私も、もともとは野球少年でしたが、陸上競技と出会えたことで大学にも進学することができたので、「長距離は人生を変える」ものだと思っています。子どもたちには無限の可能性がありますので、興味・関心のあるスポーツに挑戦してみてください。そのなかで、陸上競技、さらには種目で長距離を選んでくれたら指導者として嬉しいですね。

 

Vol.3 大岩賢さん

大岩 賢(おおいわ たかし)
昭和24年8月23日生まれ。鳴門市出身。鳴門西小学校、鳴門中学校、鳴門高校、中京大学。小学3年生頃から野球をはじめ、プロ野球選手を目指すも、中学3年生の時に徳島駅伝の鳴門市選手団に選ばれたことで、長距離選手として陸上競技を本格的に始める。大学卒業後は鳴門市役所に勤務。退職後は、美容室チェーン「HAIRZ(ヘアーズ)」を展開する株式会社ひまわり(本店:鳴門市)の代表取締役に就任するとともに、鳴門高校女子陸上競技部の長距離選手の指導、さらには鳴門市陸上競技協会会長(平成26年から)、鳴門市体育協会会長(平成27年から)として活躍している。

 

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