史跡 岡崎城跡

種別 史跡
名称 岡崎城跡
員数 1件
所有者  
年代 戦国時代
指定の理由及び文化財的特徴 往時は撫養城と呼ばれた。また、林崎城ともいう。妙見山の山上にある、城跡は公園となり、天保元年に建てられた妙見神社がある。「たかやぐら」「千畳敷き」なども地名も残る。もとは石垣作りの城であったと思われるが、現在石垣はほとんど残っていない。この城には、戦国時代に四宮氏がいたことが知られている。天正一三年(一五八五)、阿波に入った蜂須賀家政は、領国支配体制を確立するために国内の要所九か所に支城を配置した。これを阿波九城と言う。撫養は阿波の玄関口であったので、現在の妙見山に撫養城(岡崎城)を築いて、家政公の母方の異母叔父にあたる益田内善を城代に任命した。この城は寛永一五年(一六三八)に一国一城令によって取り壊され、代わりに岡崎に「御屋敷」がつくられた。
写真

所在地 鳴門町土佐泊浦