姉妹都市 ドイツ・リューネブルク市(Lüneburg Deutschland)
友好のきずな、世紀を越えて
ドイツ連邦共和国の北部にあるニーダーザクセン州の都市で、エルベ河の分流イルメナウ川流域に位置し、ハンブルグより約50kmの距離にあり、人口は約7万4千人(平成27年5月末現在)。緯度はサハリンの北端と同じ位だが、北大西洋海流(暖流)の影響で比較的温和な気候です。
市街地は、第二次大戦の戦火を幸運にも免れ、中世やルネッサンス期のゴシック、バロック様式の中高層建築が建ち並び美しい風格を備えています。中でも市庁舎は有料博物館となっていて、10世紀以来の国宝級の絵画、彫刻の保存で知られています。また郊外にある2万キロ平方メートルの広大なリューネブルガー・ハイデは国立公園であり、「ドイツ最後の自然」として訪れる人が跡を絶ちません。 夏ともなれば薄紅色の可憐なエリカが咲き乱れ、のんびり羊のたむろする風景は、牧歌的な情緒に満ちています。
岩塩発掘による製塩業で栄え、近年では、観光都市として、また大学都市としても名を馳せています。また市内にはレジャーやショッピングの施設も充実しており、博物館や劇場による催しも多いことから多様な文化体験ができる魅力ある都市として人口も増加傾向にあり、平成19年に名誉ある「ハンザ都市」の称号を授与されました。
姉妹都市盟約の締結
鳴門市とドイツの絆は、第一次世界大戦時、板東捕虜収容所に収容されていたドイツ兵士約1,000人と地元の人たちとの間に生まれた、国境を越えた友情から始まりました。開放的な捕虜生活の中で兵士たちは、酪農や乳製品の製造、印刷・出版など、ドイツの優れた技術や西欧文化を伝え、地元の人たちと心あたたまる交流を繰り広げました。こうした国際的友好を発展させ、未来に伝えようと始まったのが、ドイツ連邦共和国・リューネブルク市との姉妹都市交流です。製塩のまちとして栄え、優れた観光資源を持ち、人口などの都市規模がほぼ等しいなど、鳴門市と類似点の多いリューネブルク市。昭和49年4月18日に実現した両市の盟約は共に全市をあげてのものとなりました。
盟約以来、両市の間では一年交代で親善使節団の相互訪問が行われており、両市共に市民こぞっての歓迎を受け、実り多い親善を深めています。
姉妹都市盟約締結10周年
両市の姉妹都市盟約締結10周年記念式典が、昭和59年5月19日に文化会館で開催されました。
式典には第5回親善使節団員として来鳴していたリューネブルク市民36人をはじめ、当時、リュ市のヘルダー高校と姉妹縁組みをしていた鳴門市立工業高校生(現徳島県立鳴門渦潮高校)、鳴門日独友好協会員ら約800人が出席。市長が「日独友好と両市親善の輪は年ごとに広がっており、10周年を契機に、友愛のきずなをいっそう深めよう」とあいさつ。シュターデルマン団長がこれにこたえて「10年間の交流を踏み台として友好を発展させよう」と述べ、リュ市議会が谷市長に名誉市民の称号を贈ることを議決した旨を報告しました。次いで記念品の交換および両市の親善交流に功績のあった7名に対し感謝状が贈られ、両市の親善と友愛のきずなは永遠であることを確認して有意義な式典を終えました。
姉妹都市盟約締結15周年
平成2年8月22日からリューネブルク市を訪問していた第8回親善使節団(矢野市長以下35人)一行は、3日間の滞在中、独日協会員や市関係者などの心温まる歓迎を受けました。
なかでも市庁舎内「侯爵の間」で行われた姉妹都市盟約締結15周年式典では、当時、鳴門教育大学助教授でドイツに留学中だった村澤由利子さん(現鳴門日独友好協会会長)と、前年に来鳴したミヒャエル・ヴィルトさんによるピアノとヴァイオリンのコンサート「ソナタの夕べ」が催され、15周年記念確認書に矢野・シュライバー両市長がサインして、これまでの友好をたたえ合いました。挨拶に立った矢野市長は「私たちの親善の輪が15年を契機にさらに大きく広がり、日独の親善と国際平和に貢献できるように願っています」と述べ、固い友情を確認し合いました。
姉妹都市盟約締結20周年
鳴門市ドイツ館開館並びに姉妹都市盟約締結20周年記念式典では両市長の挨拶、20周年記念確認書の調印、記念品の交換につづき功労者の顕彰が行われました。
また、村澤由利子(国立鳴門教育大学)教授のピアノとリューネブルク市のミヒャエル・ヴィルト(ハノーバー国立歌劇場)オーケストラコンサートマスターのヴァイオリンによる記念演奏会も行われました。
姉妹都市盟約締結25周年
平成11年の9月9日からドイツの姉妹都市・リューネブルク市などを訪問していた第13回親善使節団(亀井市長以下51人)一行は、滞在中、独日協会員や市関係者などの心温まる歓迎を受けました。また、今回の姉妹都市親善使節団の訪独に合わせ、鳴門市とリューネブルク市との姉妹都市盟約締結25周年を祝う記念式典が9月18日、リューネブルク市役所内の「侯爵の間」で開かれました。
式典には使節団員一行をはじめ、リューネブルク市関係者や独日協会会員ら約150人が出席。リュ市のメドケ市長が「この25年間、深い友情を築いてきたかたがたに感謝します。今後は21世紀を担う若者の交流も活発に行い、両市の友好関係をさらに発展させたい」とあいさつしました。
これを受けて亀井市長が「両市は今から80年以上前のドイツ兵士と鳴門市の板東の地元住民との間に芽生えた友好を発展させ、より確かなものとするため、25年前に姉妹都市盟約を締結しました。それ以来両市は、公式レベルから民間レベルの多岐にわたり、活発に交流を深め、大きな成果をあげてきました。これからもより一層活発な交流を展開し、相互理解と友好親善を深め、世界平和と人類の福祉に貢献していきたい」と述べました。
続いて、亀井市長とメドケ市長が、提携25周年記念証書に署名し、友好親善を一層深めることを確かめ合いました。
このあと、両市長による記念品の交換が行われ、鳴門市からは安藤広重が描いた鳴門海峡の風景画のレプリカが、リュ市からは白磁のつぼが贈られました。
「第九」の故郷に響く『歓喜の歌』-友情をさらに深めた里帰り公演-
大正7年6月1日、板東捕虜収容所でドイツ人捕虜により、ベートーヴェン「第九」交響曲がアジアで初めて全曲演奏されたことに鑑み、平成13年2月9日、リューネブルク市で「第九」里帰り公演が開かれ、会場となったリューネブルク市立劇場は感動の渦に包まれました。「第九」アジア初演の地という歴史的・文化的な宝物を残してくれたドイツ兵たちへの恩返しと、21世紀の新たな交流のスタートにと企画されたこの公演には、鳴門市民ら約100人が合唱団員として参加。平和への願いを込めて、会場いっぱいに『歓喜の歌』を響かせると、満員の観客席から「ブラボー」の大歓声と割れんばかりの拍手が送られました。この公演の成功がドイツで大きな反響を呼んだことから、ニーダーザクセン州政府ブラウンシュバイク行政区より招聘を受け、平成15年6月にブラウンシュバイク市ドーム教会において第2回「第九」里帰り公演を開催し、再び大成功を収めました。両公演には、板東捕虜収容所で暮らしたドイツ人捕虜の子孫も招待され、国境を越えた友情の絆はさらに強いものとなりました。
姉妹都市盟約締結30周年
平成16年10月10日、第15回リューネブルク市親善使節団一行39名を迎えて姉妹都市盟約締結30周年を祝う記念式典が開催され、大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事ヴォカレック夫妻、市議会議員、姉妹都市運営委員ら88名が出席しました。式典では、亀井市長とメドケ市長が締結30周年記念確認書に署名した後、使節団員数に合わせて桜の苗木39本と定礎石の目録がメドケ市長に手渡されました。また、30周年を記念し、両市の今後一層の友好の深まりを菩提樹の成長に託して、ドイツ村公園内のドイツ兵合同慰霊碑周辺を「菩提樹の森」として整備することになりました。
姉妹都市盟約締結35周年
姉妹都市盟約締結35周年を迎えた平成21年8月20日、19名の第18回鳴門市姉妹都市親善使節団がリューネブルク市を訪れました。市庁舎訪問の際には記念品の交換が行われ、鳴門市から両市の市章を描いた伝統工芸「わんわん凧」を贈り、リューネブルク市からは白磁のニーダーザクセン州の白馬が贈られました。その後、市庁舎近くの広場において、鳴門市までの距離8,917kmを示す標識の除幕式が行われました。これは故吉田市長が「両市間の距離は8,917kmもあるが、精神的な距離は近い」と以前あいさつされたことがきっかけとなり、設置が決まったものです。除幕式に出席した使節団員やリューネブルク独日協会会員は、標識の下で両市の強い絆を改めて認識し、この友情が末永く続くよう祈りました。
姉妹都市盟約締結40周年
平成26年10月16日、姉妹都市盟約締結40周年を祝うべく、メドケ市長ら60人が第20回リューネブルク市親善使節団として来鳴しました。過去最大となった同使節団には12人の青少年団員も含まれ、学校訪問やホームステイを行ったことで若い世代にも友好の輪が広がりました。
滞在中に開催された日独市民交流会では、使節団員と多くの鳴門市民がドイツ館に集まり、バルーンリリースや交流昼食会、芸能鑑賞を通じて交流を深めました。また、10月19日に行われた姉妹都市盟約締結40周年記念式典では、使節団員の他に、大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館カールステン総領事、関西学院大学 神余副学長(元在ドイツ日本大使館特命全権大使)、鳴門市議会議員、鳴門日独友好協会会員らが出席し、泉・メドケ両市長が40周年記念確認書にサインをし、固い握手を交わすと会場から大きな拍手が沸き起こりました。その後、姉妹都市交流の発展に貢献し、功績をあげた11人と1団体に対して、功労賞や感謝状が贈呈されました。
ウルリヒ・メドケ市長を鳴門市特別名誉市民の称号を授与
平成3年にリューネブルク市長に就任されて以来、27年間の長きにわたり鳴門市との姉妹都市交流にご尽力されているリューネブルク市ウルリヒ・メドケ市長に、「鳴門市特別名誉市民」の称号を贈ることを決定し、第22回リューネブルク市親善使節団滞在中の平成30年9月29日、ドイツ館においてメドケ市長に対する「鳴門市特別名誉市民伝達式」が執り行われました。
メドケ市長は、姉妹都市親善使節団の団長として、幾度も来鳴され、両市の姉妹都市交流の活性化と発展向上に尽力されています。その功績を称え、泉市長より、特別名誉市民の称号が授与されました。
メドケ市長は式典でのご挨拶の中で、これまで姉妹都市交流を築き上げた歴代の市長や関係各位に尊敬と感謝の意を述べられたあと、「両市の活発で多様な交流は私たちの共通の宝」だと話されました。
姉妹都市盟約締結45周年
姉妹都市盟約締結45周年を迎えた令和元年9月23日、38名(内12名が青少年)の第23鳴門市姉妹都市親善使節団がリューネブルク市を訪れました。リューネブルク市庁舎での歓迎を受けた後、リューネブルク市内のクラインガルテンにて、リューネブルク市コレ副市長と鳴門市泉市長が、45周年を記念し共に桜の木の植樹を行いました。
植樹に立ち会った団員は、45周年の姉妹都市交流を振り返り、桜の木々のように、この友情が末永く繁栄し続けることを祈りました。
広がる市民交流
姉妹都市盟約締結以来、親善使節団の相互派遣により、両市民の間にはたくさんの友情が生まれています。市民レベルの交流は、リューネブルク独日協会と鳴門日独友好協会が中心となって、交流活動を活発に推進しています。
平成4年に、リューネブルク市のパレッテ会と鳴門市美術協会がお互いの絵画作品を交換し、双方の街で展示する「絵画交流」が始まりました。現在、鳴門市では美術協会に替わって日独絵画交流協会がこの交流を受け継ぎ、芸術分野における姉妹都市交流を繰り広げています。
また、鳴門市花街道・地域づくりネットワークを中心として行われているのが、「コスモス交流」です。板東捕虜収容所のドイツ兵らが母国や亡くなった仲間をしのんで収容所に植えたと言われるコスモスの種を両市で交換し、大切に育てています。同団体は地元住民とともに、リューネブルク市親善使節団来鳴時に湯茶の接待を行い、コスモスの花を手渡すなど友好を深めています。
さらに、平成25年より、相互派遣している親善使節団に青少年枠を設け、両市の中高生が姉妹都市で学校訪問やホームステイを体験しています。同事業は若い世代の国際感覚を養うだけでなく、姉妹都市交流の未来の担い手育成にも繋がることが期待されています。
「戦後の交流のあゆみ」年表
大麻町時代
1960(昭和35)年 | ||
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10月6日 | 新聞が、高橋春枝さんらの長年にわたる慰霊碑の清掃と献花について伝える | |
11月29日 | 駐日西ドイツ大使館ハース大使とベ-グナー神戸総領事来町。慰霊碑に献花 | |
1961(昭和36)年 | ||
ハース大使帰国。ドイツ兵士慰霊碑について新聞に寄稿 | ||
1962(昭和37)年 | ||
1月27日 | 元捕虜のライポルト氏から、板東の近況を尋ねる手紙届く | |
3月22日 | 渡欧する原知事に、板東の近況を写した8ミリ映画とアルバムを託す | |
1963(昭和38)年 | ||
1月 | フランクフルト・バンドー会、慰霊碑の維持・管理のためにと小切手を送金。大麻町、碑の前で慰霊祭を実施 | |
1964(昭和39)年 | ||
7月14日 | 高橋春枝さんにドイツ功労勲章授与 | |
1965(昭和40)年 | ||
原知事、フランクフルトでライポルト氏と会見 | ||
6月7日 | ライポルト氏、板東時代のアルバムを寄贈 | |
1967(昭和42)年 | ||
1月1日 | 大麻町、鳴門市と合併 |
鳴門市時代
1963(昭和38)年 | |
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5月29日 | 駐日西ドイツ大使館2等書記官ウィルヘルム夫妻墓参 |
1968(昭和43)年 | |
5月17日 | バルト氏来鳴、古老らと歓談 |
1969(昭和44)年 | |
4月9日 | 元捕虜の子息レーレケ博士来鳴、献花 |
1970(昭和45)年 | |
8月29日 | ライポルトとクレイの両氏来鳴、古老と歓談。四国放送、映画「板東捕虜収容所」製作に着手 |
1972(昭和47)年 | |
5月10日 | 鳴門市ドイツ館開館。ドイツ各地から寄贈・寄付相次ぐ |
1974(昭和49)年 | |
4月18日 | 谷鳴門市長、リューネブルクで姉妹都市盟約に調印 |
10月1日 | 第1回鳴門市親善使節団リューネブルク訪問 |
1975(昭和50)年 | |
6月30日 | 第1回リューネブルク市親善使節団来鳴。以後両都市間で、隔年に相互訪問 |
1976(昭和51)年 | |
11月14日 | ドイツ兵士合同慰霊碑除幕式 |
1978(昭和53)年 | |
4月 | ドイツ村公園子供広場完成。シェール西ドイツ大統領の特使として、大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館のエッシク書記官が来鳴し、ドイツ兵士合同慰霊碑に献花 |
4月 5・6日 | ドイツ村公園にて第1回「ドイツ祭り」開催。以後1991(平成3)年まで継続 |
12月 | 西ドイツ政府より谷市長に、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章が贈られる。「鳴門日独友好協会」結成 |
1979(昭和54)年 | |
4月 | 市制施行32周年記念表彰式の席上に、外国人では初めて前リューネブルク市長トレープヒェン氏とライポルト氏が日独友好貢献者として市長表彰される |
1980(昭和55)年 | |
8月 | リューネブルク独日協会が結成 |
1982(昭和57)年 | |
5月15日 | 市制35周年および鳴門市文化会館落成記念として、「第九」演奏会。開催以後6月1日を「第九の日」と定める |
1983(昭和58)年 | |
6月12日 | ドイツ村公園に「ばんどうの鐘」設置 |
11月13日 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国ヴェーバー総領事来鳴、献花 |
1984(昭和59)年 | |
9月 | リューネブルク市役所で、谷市長がニッケル市長から名誉市民の称号を授与 |
1992(平成4)年 | |
11月15日 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国ファーレンホルツ領事来鳴、献花 |
1993(平成5)年 | |
5月20日 | ドイツ連邦共和国ハース大使来鳴、献花 |
10月13日 | 新ドイツ館開館 |
11月22日 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国グルーベル総領事来鳴、献花 |
1994(平成6)年 | |
6月3日 | リューネブルクとの姉妹都市盟約締結20周年と新ドイツ館の開館を祝い、「第1回ドイチェス・フェスト」を開催。以後ほぼ毎年10月に開催 |
1997(平成9)年 | |
7月末 | 第1回小さな親善使節団リューネブルク訪問 |
1998(平成10)年 | |
5月31日 | ドイツ村公園にて「甦る第九 日本初演再現演奏会」 |
10月末 | リューネブルクより第1回小さな親善使節団来鳴 |
1999(平成11)年 | |
8月 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事Dr.ヨハネス・プライジンガー氏来鳴 |
11月 | 大阪・神戸ドイツ共和国副総領事イヤーン・ローデェ氏が来鳴し、ドイツ兵士合同慰霊碑に献花 |
2000(平成12)年 | |
11月 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国領事マルク・アイヒホルン氏が来鳴、ドイツ兵士合同慰霊碑に献花 |
2001(平成13)年 | |
2月9日 | リューネブルクにて「『第九』里帰り公演」を開催 |
5~6月 | 第20回「第九」演奏会の記念事業として、5月3日~6月3日までの1ヵ月間を「ドイチェ・ヴォッヘン(ドイツ月間)inなると」と称し、日独国際交流の複合イベントを開催 |
2002(平成14)年 | |
7月14日 | ドイツ連邦共和国ケストナー大使来鳴、献花 |
11月 | ドイツ連邦共和国大使館海軍大佐ライムンド・ヴァルナー氏が来鳴、ドイツ海軍大佐としてはじめてドイツ兵士合同慰霊碑に献花 |
2003(平成15)年 | |
6月26日 | ブラウンシュヴァイクにて「第2回『第九』里帰り公演」を開催 |
2004(平成16)年 | |
12月 | 藤倉睦男氏にドイツ功労勲章功労十字小綬章を授与 |
2005(平成17)年 | |
6月 | ニーダーザクセン州のクリスティアン・ヴルフ首相一行(27名)及びEUのベルンハルド・ツェプター大使夫妻が来鳴 |
12月 | 東映映画『バルトの楽園』の撮影のためにリューネブルク市を中心としたドイツ楽団のエキストラ(同市市立劇場トイス氏以下52名)が来鳴 |
2007(平成19)年 | |
7月 | ハンス=ヨアヒム・デア駐日ドイツ大使夫妻及びジルダ・ル・リデック駐日フランス大使夫妻が揃って来鳴 |
2008(平成20)年 | |
2月 | 平成19年度姉妹自治体交流表彰(総務大臣賞)を受賞 |
4月 | ヴィルヘルム・ハース元駐日大使夫妻・弟夫妻が来鳴 |
8月 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館ミュラー領事夫妻が来鳴 |
2009(平成21)年 | |
2月 | 在ドイツ日本国大使館神余隆博大使が来鳴 |
3月 | ニーダーザクセン州クリスティアン・ヴルフ首相一行(44名)が来鳴 |
9月 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国オルブリッヒ総領事夫妻、ビーダーマン副総領事来鳴 |
11月 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国ビーダーマン副総領事が来鳴し、ドイツ兵士合同慰霊碑に献花 |
2011(平成23)年 | |
10月 | ドイツ連邦共和国クリスティアン・ヴルフ大統領が来鳴。ドイツ大統領として初めてドイツ兵士合同慰霊碑に献花 |
2012(平成24)年 | |
6月 | ドイツ大使館付武官 ヨアヒム・グトー海軍大佐来鳴 |
2013(平成25)年 | |
2月 | 在ドイツ日本国大使館 中根大使来鳴 |
2014(平成26)年 | |
2月 | ドイツ連邦共和国大使館武官室 カールステン・ブッシュ空軍大佐来鳴 |
6月 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館 インゴ・カールステン総領事来鳴 |
7月 | ニーダーザクセン州訪問団来鳴 |
10月 | 過去最大となった60人の第20回リューネブルク市親善使節団を迎え、姉妹都市盟約締結40周年記念式典を開催。カールステン総領事も同席。 |
2015(平成27)年 | |
12月 | ドイツ連邦共和国大使館武官室 カールステン・ブッシュ空軍大佐来鳴 |
2016(平成28)年 | |
8月 | 在ハンブルク日本国総領事館 安沢隆男総領事来鳴 |
11月 | ドイツ連邦共和国大使館武官室 マティアス・ライボルト陸軍大佐来鳴 |
2017(平成29)年 | |
4月 | 大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館 ヴェルナー・ケーラー総領事来鳴 |
5月 | ニーダーザクセン州使節団来鳴、ユネスコ「世界の記憶」共同申請協定書調印式 |
11月 | ドイツ連邦共和国大使館経済部 マルコ・シュルト一等書記官来鳴 |
12月 | ドイツ連邦共和国大使館武官室 マティアス・ライボルト陸軍大佐来鳴 |
2月 | ニーダーザクセン州訪問団及びビルギット・オネー大臣来鳴 |
2018(平成30)年 | |
4月 | ニーダー・ザクセン州政府訪問団来鳴 |
12月 | ドイツ連邦共和国大使館武官室 マティアス・ライボルト陸軍大佐来鳴 |
2019(令和元)年 | |
11月 | ドイツ連邦共和国大使館武官室 カルステン・キーゼヴェッター陸軍大佐来鳴 |
2020(令和2)年 | |
7月 | ドイツ連邦共和国大使館 イナ・レーペル駐日大使来鳴 |
11月 | ドイツ連邦共和国大使館 マルティン・ポール参事官来鳴 ドイツ連邦共和国大使館武官室 カルステン・キーゼヴェッター陸軍大佐来鳴 |