なつかしの写真館 鳴門の今昔
鳴門の街角や自然の昔と今、こんなに変わりました。
文明橋
明治3年に架設され、翌4年に竣工した文明橋。架け替えが明治33年と43年、大正7年に行われ、さらに、昭和13年に鉄筋コンクリート製の橋(現在の橋)に架け替えられました。
大正時代(写真左) 平成21年(写真右)
鳴門競艇場
昭和28年4月に開設した鳴門競艇場。昭和40年代から、木造のスタンドを鉄骨・鉄筋コンクリート造りにし、競走水面の外周を鉄製の矢板で囲うなど、施設の改善を行ってきました。
昭和28開設時(写真左) 平成21年(写真右)
棒杭山からの撫養中心部
撫養町斎田の棒杭山から妙見山の方向を見た街並み。現在は、3階を超える高い建築物も建っています。
昭和初期(写真左) 平成21年(写真右)
入浜塩田(黒崎、桑島)
撫養町黒崎から桑島にかけて広がる入浜塩田。中水尾川土地区画整理事業(昭和50年認可~62年完了)による区画整理後は、急速に市街化が進みました。
昭和20年代後半(写真左) 平成18年(写真右)
旧鳴門駅付近
昭和45年3月に旧鳴門駅は北方の現在地へ移転。現在は、旧駅があった場所を国道28号が北へ直進しています。
移転する前(写真左) 平成21年(写真右)
大道銀天街
自転車や徒歩の買い物客で、かつてにぎわっていた大道商店街。現在は、歩道とアーケードが整備されています。
昭和45年ごろ(写真左) 平成21年(写真右)
市中心部(鳴門駅周辺)
昭和42年7月に事業認可された撫養土地区画整理事業(昭和61年完了)の区域やその北方には多くの流下式塩田が広がっていました。
昭和45年ごろ(写真左) 平成初期(写真右)
鳴門町高島・三ツ石
鳴門町土地区画整理事業は、昭和49年2月に事業認可を受け(平成9年完了)、宅地造成工事が始まりました。
昭和50年ごろ(写真左) 平成初期(写真右)
岡崎海岸
昭和22年から市営海水浴場として親しまれてきた岡崎海岸は、砂の流出が著しくなったため昭和63年に閉鎖されました。
昭和50年ごろ(写真左) 平成21年(写真右)
鳴門海峡
激しい潮流が大きな渦潮を生み出す鳴門海峡。この海峡をまたぐ「夢のかけ橋」と呼ばれたつり橋、大鳴門橋は昭和51年に着工し、約9年の工期を経て昭和60年6月に開通しました。
架橋前(写真左) 平成21年(写真右)