Vol.1 里崎智也さん

列伝第1回

Vol.1 里崎智也さん
◆2015年5月に初の鳴門市スポーツアドバイザーに就任いただき、これまでたくさんの御協力をいただきましたが、振り返ってみてどんな3年間でしたか?
この3年間で、野球教室や講演会などいろいろと参加させていただきましたが、現役を引退するまで、なかなか地元の鳴門に帰省することもなかったし、地元への貢献もあまりできていなかったので、まずはこのような機会を設けていただいたことに対し、感謝しています。

◆今後スポーツアドバイザーとして活動していく中で、こういうことをしてみたら良いのではなどありますか?
今年、ゲストとして参加したチビリンピック(横浜国際総合競技場)は面白かったですよ。マラソンや卓球、サッカー大会など、様々なスポーツをしていて、僕の他にもゲストとして、マラソンの高橋尚子さんや、レスリングの浜口さん親子、サッカーの北澤豪さんたちが参加していて、子どもたちと触れ合ったり、競技進行をしたりするんです。マラソンでは、親子マラソンもあって面白いと思いましたね。なかなか親子マラソンってないじゃないですか。親子で走って2人でゴールしなければならないので、お父さんも子どもも必死で走ってましたよ。親子の絆が深まったりもしますので、親子で一緒にスポーツをするというのは面白いと思いましたね。

Vol.1 里崎智也さんVol.1 里崎智也さん◆親子でのスポーツは面白そうですね。それに様々なスポーツをするということですが、よくアメリカなどで行われております、この「マルチスポーツ」についてはどう思われますか?
一概にどっちが良いというのは言いにくいですね。マルチスポーツが行われているアメリカでは、日本に比べて若い世代の選手は弱いですから。日本みたいに1つのスポーツをやっていないんで。だから野球とかしてもすぐ勝てちゃいますよね。でも、マルチスポーツの良いところは、どのスポーツが自分に合うのかを探せるってところですよ。自分の可能性を広げるためには良いです。好きでないものを無理矢理し続ける必要はないです。
だけど、今の日本の環境ではマルチスポーツはできないと思います。アメリカでは、野球はこのシーズンだけ、アメフトはこのシーズンだけとしていて、日本みたいに同じ競技を一年中通してずっとしませんし、高校ぐらいまでは日本みたいなデンジャラス(過密)な大きな大会もないんですよね(笑)。大学ぐらいから1つの競技に絞ったりします。 結局は、文化と環境が違いすぎるから一概に良い悪いは言えないですね。

◆高校まで鳴門で過ごされ、大学から県外での生活となりましたが、地元である鳴門市に対してどのような思いがありますか?
最近は、鳴門市出身のプロ野球選手も減ってきていますので、スポーツ界の勢いがほしいですね。甲子園の成績も奮(ふる)わないですし、他のスポーツでも鳴門市出身の選手って限られていますよね。頑張ってスポーツで鳴門市を盛り上げたいですね。地域を盛り上げるためには、スポーツで誰かが活躍するのが一番早いと思うんですよ。

◆鳴門市でよく行かれるお店や好きな食べ物はありますか?
びんび家にはよく行きます。あとは、いのたにのラーメンや天野屋の鰻も好きですね。天野屋の鰻は、昔ながらのあのちょっとカリカリした感じが好きで、食べたら「これや!!」って思いますね(笑)。
年末年始に鳴門に帰省したときは、大麻比古神社や成田山に初詣に行ったりもします。

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◆休日はどのように過ごされていますか?また、趣味もお聞かせください。
年に6回ぐらい子どもとディズニーランドに行きます。
趣味はゴルフで、スコアは安定して80台ぐらいです。結局何でもそうですけど、練習をすれば誰だってある程度はできるようになると思います。現役中は10月~2月のシーズンオフの間だけで30回ぐらい行きますからね。ある程度はできるようにもなりますよ。ただ、その後シーズンに入って間が空いて、また下手になっての繰り返しですよ(笑)。

◆当時の鳴門工業高校から帝京大学に進み、そしてプロ野球選手として千葉ロッテマリーンズで活躍されましたが、プロを意識し始めた時はいつ頃ですか?
意識したことはないですね。先に周りがざわついてきて、気付いたらプロになっていました。教員の資格を取る予定で授業も組み込んでいましたからね。

Vol.1 里崎智也さん ◆現役時代の一番の思い出があれば教えてください
僕の持論は、強いところより出られるところですから。強いところで補欠よりも、レギュラーになって試合に出られるところの方が絶対良いんですよ。実戦(試合)を経験することで、人間は突然変異する可能性が生まれるんです。実戦で失敗や成功を繰り返すことで要領を掴むんです。でも補欠だったらそうはならないんですよ。日々の努力は試合で勝つためにやっているので、試合に出なかったら、その努力が正しいのか間違っているかの判断をするところがないんです。チームとしては弱いかもしれないですけれども、個人として成長する可能性はあるんですよね。例えば大阪桐蔭の補欠より、名も無いところのレギュラーの方が絶対に良いと僕は思います。補欠ではプロ野球選手にはなれないですし、進学すらできない可能性もありますから。プロの選手でも、聞いたこともないような高校からドラフト指名された選手もたくさんいますからね。もちろん、強いところで試合に出られる方が一番良いですけど。ただし、全員が全員そんなわけにはいかないので、自分の事を過剰に評価しない見極めが大事です。僕が選択してきた道は、全て強いところより出られるところでした。帝京大学もそうですし。これまで10年以上優勝してなかったのに、4年間で1回優勝できましたから。どんなところでも自分が強くしたら良いんですよ。ロッテなんて31年ぶりの優勝でしたからね。当時、僕が29歳でしたから。その前に優勝したのが、僕が生まれる前の話ですよ(笑)。

Vol.1 里崎智也さん ◆一番尊敬している人や恩師はいますか?
尊敬している人は、両親です。ここまで自由にさせてくれましたから。あの当時、徳島から東京に行く人もそんなにいませんでしたからね。
恩師は、高校時代にお世話になった高橋監督(現早稲田大学野球部監督)です。大学の選択の際に、高橋監督から「強いところに行っても補欠だったら就職が困るから、レギュラーになれるところの方が就職が有利になる。自分の能力に合ったところに行くことがベスト」と言っていただいたこともあり、帝京大学に行きました。
僕の持論は、監督の教えからきているんですよね。プロも最下位だったロッテに入りました。それでチャンスを掴んで、日本一になったんですから。だから、強いところより出られるところですよ。

Vol.1 里崎智也さん ◆小・中・高校時代のチーム成績を教えてください。
小学時代はかなり強かったです。当時は、僕がいる大津西か里浦(スポーツ少年団)のどちらかが優勝していましたね。中学時代(鳴門第一)は、県大会で春夏優勝しましたが、四国大会では両方とも決勝で負けてしまいました。高校時代(鳴門工業)はイマイチでしたね(笑)。最後の試合はコールド負けでした。大学時代(帝京)とプロ時代(千葉ロッテ)は優勝して日本一と世界一も経験していますので、高校だけ優勝を経験していないんですよ。でも、鳴門工業高校に行って、高橋監督と出会ったおかげで今の僕があるから、何が良いのか悪いのか分からないですね。高校の選択が僕の人生を大きく変えたことは間違いないです。当時は、徳島商業高校や小松島西高校が強かったですね。

◆当時、徳島商業高校や小松島西高校に通おうとは思いませんでしたか?
思いませんでしたね。だって遠いですもん。家からすぐ通えないところはあまり好きじゃないんですよ。面倒ですから(笑)。

Vol.1 里崎智也さん ◆最後に、スポーツを頑張っている、これから頑張ろうとしている子どもたちへメッセージをお願いします。
好きこそ物の上手なれじゃないですけど、それを好きになることが一番ですよ。好きなことを突き詰めたら、何でもそれが仕事になるよと。もちろん、それはスポーツに限らず何でも。一番は「好きなことを一生懸命やる」ってことですね。

Vol.1 里崎智也さん
平成27年5月スポーツアドバイザー委嘱式

里崎 智也(さとざき ともや)/元プロ野球選手
1976年5月20日生まれ。鳴門市出身。大津西小学校→鳴門第一中学校→鳴門工業高校→帝京大学。1998年ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団(背番号22)。2005年、2010年に日本シリーズ優勝。2006年の第1回WBCにおいて日本代表の正捕手として優勝に貢献し、優秀選手賞受賞。また、2006年、2007年にゴールデングラブ賞、ベストナイン賞受賞。2014年にプロ野球選手を引退し、2015年に千葉ロッテマリーンズスペシャルアドバイザーと鳴門市スポーツアドバイザーに就任。引退後も、野球解説者としてテレビやラジオに出演するほか、舞台やイベントなど幅広い分野で活躍している。

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