県立鳥居記念博物館が3月末で閉館
市へ施設移管後の活用法にご意見を
妙見山の山頂に建つ県立鳥居記念博物館が、3月末で閉館し、11月に徳島市八万町にある徳島県文化の森総合公園でリニューアルオープンする予定となっています。
これは、鳥居記念博物館が昭和40年の開館以来、長期にわたり市民をはじめ多くの皆さんに親しまれてきましたが、鳥居博士の貴重な研究資料等、収蔵物の劣化が危惧されることなどから、文化の森に移設、展示することになったものです。
市では、昨年度から県と協議を進めてきた結果、施設の耐震化が可能であることが確認されれば、県からの移管を受けることで、昨年12月に基本合意しました。
現在、県が耐震診断を実施していますが、耐震化が可能となれば、市では鳴門のシンボルとして長年市民に親しまれてきたこの建物を、大切に次世代に引き継いでいきたいと考えています。現在の市の財政状況では、多額の予算を投じて入館者を増やすことは困難ですが、市民の皆さんが鳥居博士を懐かしみ、手軽に訪れることができる施設にしようと、移管後の活用方法について、市民の皆さんと一緒に検討することにしています。
記念館建設の経緯
現施設は博士が生前、鳴門海峡を望む景色を好まれたことから、海峡を一望できる妙見山頂に建てることになりました。工費は約3500万円、うち2000万円を市が負担しなければなりませんでしたが、財政難の市からは拠出できず、市民から多額の浄財をいただきました。建設は昭和39年2月に始まり、翌40年3月に完成。記念館の外観は、この地(妙見神社北側)に阿波九城の一つ撫養城(岡崎城)が建っていたことから天守閣様式とし、標高約64bの山頂に建てられました。高さ17・5b、三層天守閣様式鉄筋コンクリート造りの建物は、4階は展望室として、市街地や鳴門海峡など市内が360度一望できるようになっています。
人類学・考古学の開拓者・鳥居博士
明治3年(1870年) 現徳島市東船場町に生まれる
明治20年(1887年) 大麻町大谷周辺を調査、古墳群の存在を専門雑誌に発表
明治23年(1890年) 東京帝国大学の坪井正五郎先生の勧めに従い上京
明治26年(1893年) 東京帝国大学理科大学人類学教室標本整理係の職に就く
明治34年(1901年) 市原キミ(きみ子)と結婚
大正11年(1922年) 東京帝国大学助教授に就任
大正13年(1924年) 東京帝国大学を辞職、鳥居人類学研究所を設立
昭和14年(1939年) 北京燕京大学客座教授に就任
昭和26年(1939年) 北京燕京大学を退職し帰国
昭和28年(1952年) 1月14日82歳で死去
博士は日本国内をはじめ中国東北三省・西南部・山東半島、モンゴル、東部シベリア、台湾、千島列島、南アメリカなどへ渡り幾多の苦難と闘いながら、人類学・考古学の実地調査に生涯を捧げました。この間、多くの著書や論文を発表されるなど、東アジアの人類学・考古学の開拓者としての業績は世界的に高く評価されています。
鳴門市では、博士の偉業と、博士を公私にわたり生涯支え続けた、きみ子婦人をたたえ昭和40年、2人に名誉市民の称号を贈りました。
意見交換会
現施設の、市への移管後の活用方法を検討するにあたり、市では市民の皆さんとの意見交換会を開催します。
とき 平成22年3月6日 午後2時〜
ところ 地場産業振興センター
【問い合わせ】 市役所企画調整課(684・1120)
広報なると双方向型コーナーへの意見募集
広報なるとに市民の皆さんからの声を届けていただき、その声に答える双方向型コーナーの第一弾として取り上げていきます。施設の活用方法に対するご意見やご質問をお寄せください。提案には活用方法に反映できないか検討するとともに、質問にはできるかぎり広報で答えていく予定です。
募集期間 2月1日〜15日
意見提出・問い合わせ
郵送(〒772・8501 撫養町南浜字東浜)またはメール(hisyokoho@city.naruto.lg.jp)FAX(684・1336)で市役所秘書広報課へ。
移転記念展
2月16日から3月末までの間、記念館の工事風景や鳴門市の航空写真などを展示した記念展(無料)を計画しています。ご見学ください。
入館 月曜日・第一火曜日・祝日の翌日を除く午前9時30分〜午後4時30分に入館できます。
【問い合わせ】 徳島県立博物館(Z668・3636)へ。
|