鳴門市ドイツ館館報
Ruhe(ルーエ やすらぎ)
発行者
鳴門市ドイツ館
〒779−0225
鳴門市大麻町桧字東山田55−2
TEL(088)689-0099
FAX(088)689-0909
創刊号

「ルーエ」(鳴門市ドイツ館館報)の発刊にあたって

市長写真鳴門市長 亀井俊明

  IT革命が大きく進展しました21世紀を迎え、情報やそれをふまえた国内外の人と物の交流が、従来とは比較にならないほど増大しております。
 もちろん鳴門市でもそうした流れに沿った変革に努めておりますが、その一環としましてこの度「ドイツ館」の「館報」を発刊することになりました。
 本市の「ドイツ館」は、第1次世界大戦当時の「板東俘虜収容所」にまつわるドイツ兵士と地元住民の温かい交流と、ドイツ兵士が残してくれた精神的・文化的遺産を受け継ぎ、時代を超えた日独両国の親善を高めるために建てられました。1972(昭和47)年に開設した「旧ドイツ館」には、元俘虜の方々からもたくさんの貴重な資料と寄付が寄せられました。その後もリューネブルク市との姉妹都市提携などを機に、たくさんの寄贈や収集があいつぎ、より盛んな国際交流の拠点にと、1993(平成5)年10月に現在の「新ドイツ館」を建設しました。
 これまで鳴門市は「史料研究会」の方々などの協力を得て、板東俘虜収容所で2年間にわたって発刊されました新聞『ディ・バラッケ』の第1巻、第2巻の翻訳・刊行を行って参りました。また、昨春にはこれまでの研究の成果をふまえ、わかりやすいガイドブック『どこにいようと、そこがドイツだ』も出版しました。もちろん「ホームページ」なども活用して参りました。
 今回発刊します「館報」を、より多くの人々にお読みいただき、さらにより多くの方が当館をお訪ね下さるきっかけとなりますことを願い、発刊にあたってのご挨拶とさせていただきます。


「ドイツ館」とは

館長 田村一郎

1 前史

 「日本がドイツと戦った」などと言うと、驚く方も多いことでしょう。確かに明治以降、日本とドイツの関係は「憲法」作りの協力を得たり、陸軍の指導を仰ぐなど良好でした。第2次大戦時には、イタリアをふくめ3国同盟が結ばれもしました。しかし、敵国だった時代もあったのです。時は第1次大戦の初めの1914(大正3)年、場所は中国山東半島の青島(チンタオ)でのことです。
鳴門市ドイツ館(写真) 当時日本は、イギリスと同盟を結んでいました。そのイギリスからの船の安全を守ってほしいとの依頼を機会に、わが国はドイツの拠点だった青島に3万もの大軍を送りました。守るドイツ側はわずか5,000人で、3カ月ほどで勝敗は決しました。
 終戦後、約4,700のドイツ兵が「俘虜」として日本に送られ、12カ所に収容されました。しかし主としてお寺や公共施設などを利用したため、あまり住み心地はよくありませんでした。そのためアメリカの外交官などの勧めもあって、新・改築をふくめた6カ所に統合されました。四国の松山・丸亀・徳島の3収容所も、現在の鳴門市大麻町の板東にまとめられました。1918(大正7)年4月のことです。
 ここでは約1,000人のドイツ兵が、2年10カ月ほどを過ごしました。その間所長の松江豊寿(とよひさ)大佐をはじめとする管理者側や、「ドイツさん」として親しんだ地域の人々の配慮もあって、「模範収容所」とよばれるほどの、比較的ゆったりした俘虜生活を送りました。

2 「バンドー」での諸活動

 日本では、古くから敵に捕らわれることは恥とされてきました。そのため戦いに敗れると、女性や子どもをふくむたくさんの人々が、みずからの命を断ったりもしました。しかし「俘虜も勤務の一形態」とする欧米では、彼らを労苦に耐えた英雄として迎え入れるのがふつうです。
 ドイツ兵も同じで、国に帰れる日までをいかに有益に生き抜くかに心を砕きました。科学・技術面でも文化面でも先進国との自負をもっていた彼らは、俘虜生活を無駄に過ごすまいと、さまざまな活動をしました。所長らの配慮によって借り入れた、収容所の外側の広い地域には、たくさんのスポーツ施設や、菜園・動物小屋なども作られました。
 文化面ではベートーヴェンの「第九交響曲」の初演が有名ですが、そればかりではなく約100回の音楽会が開かれました。もちろん演劇も行われ、女性役には希望者が殺到したそうです。また知的な水準を高めることにも力がそそがれ、毎週のように講演会や学習会などがくり返されました。
 そうした中でとくに注目されているのは、これら諸行事の「ポスター」などの印刷物です。石版印刷のように見える多色刷りのほとんどは、俘虜が日本の技術にも学んで独自に開発した、「謄写印刷」によるものであることがはっきりしてきたからです。
 また俘虜は同じく「ガリ版印刷」による、『バラッケ』という2,700ページにも及ぶ所内新聞を残しています。新聞は各地の収容所で発刊されていますが、これほどの充実したものが、しかも全巻にわたって残っているのは板東収容所だけです。この貴重な資料は、本館史料研究会の手で順次翻訳刊行されています。
 ドイツ兵はこうした活動をたんに自分たちの枠内に止めず、地域の人々の間にも広めました。現在も残っている「船本牧舎」は、ドイツ兵が中心になって作られたもので、畜産や乳製品などの指導が行われました。そのほかにも農業指導や、パン、ケーキ、ワイン作りなども伝えられました。またオーケストラの指揮者の一人エンゲルは、音楽教室を開き、徳島の音楽文化の基盤を作ってくれました。

3 交流の復活

 しかしもしも第2次大戦後に、元俘虜の方々との交流の復活がなければ、現在のようなたくさんの資料を備えた「ドイツ館」はありえなかったでしょう。ドイツ兵が帰国して後、収容所跡は陸軍の演習所として使われ、戦後は海外からの引揚者の住宅として利用されました。ここにおられた方々が、たまたま草に埋もれていた「ドイツ兵の慰霊碑」に気づかれ、大事にお世話をされてきました。そのことがドイツにも知られ、次々と訪れる元俘虜の方なども増え、「ドイツ館」を作ろうとの声が高まりました。ドイツからもたくさんの貴重な資料や基金が寄せられて「旧ドイツ館」が建てられ、その精神を受け継いで1993(平成5)年に現在の「ドイツ館」が作られました。
 詳しくは、本館のガイドブック『どこにいようと、そこがドイツだ』をご参照下さい。


「ドイツ館」でのイベント
−特色ある楽しい魅力がいっぱい−

鳴門市役所文化振興課副課長 中野正司

 ドイツ館で開催されるイベントは、「ここだけしかない」という行事が多いのが特色です。今回は初めてですので、あらすじだけをお話しておきます。
 まず代表的なものとして、「ドイチェス・フェストinなると」があります。
 このイベントは1994年から「普段着の第九」合唱演奏会、著名タレント等による国際交流講演会、ドイツ人演奏者の交流コンサート、ドイツ物産展、モーターショーなど、盛りたくさんの出し物が、10月第4週の土・日の2日間に催されています。昨年、(財)地域活性化センター主催の『21世紀のふるさとづくり2000』の「ふるさとイベント大賞 文化・交流部門賞」を受賞し、徳島県を代表するイベントの一つとして、全国的にも注目されてきています。

「甦る第九演奏会」写真
「甦る第九演奏会」
 このほかにも、ベートーヴェン「第九交響曲」の日本初演の地であることを記念して、1918年に行われたドイツ兵俘虜の演奏をそのまま再現した、世界でも珍しい男性ばかりの「甦る第九演奏会」(1998年)や、ドイツ兵俘虜が当時の技術水準を越えて独自に開発した多色刷り謄写(ガリ版)印刷技法の謎を解明できたことから、その技法を使用してそのまま印刷物を再現した「BANDOプログラム再現記念イベント」(2000年)などが開催されました。また今年に入ってからも、5月3日から6月3日までをドイツ週間として「ドイチェ・ヴォッヘンinなると」を開催。第一次世界大戦時の国内のドイツ人収容所を紹介した企画展示やパネルディスカッション、第九のジャズ演奏に舞踏をプラスした「ドイチェ・ムジークinなると」、日独交流について6都市の首長が話し合うシンポジウムなど、ドイツ館ならではの様々なオリジナルイベントが実施されました。
 定期的に開催されるイベントとしては、市内の芸術家や有識者による鳴門市文化市民会議主催の「鳴門マルディグラ」も忘れてはなりません。クラシック、ジャズ、ポップス、邦楽、民族音楽など多様なミュージックを
「日独交流」シンポジウム(写真)
「日独交流」シンポジウム
演奏するだけでなく、ダンス、芸術作品の展示、講演会を加えた総合文化・交流イベントとして、昨年から年2〜3回開催。ここでの魅力は、食文化の紹介もイベントの中に入っていることです。
 ドイツの製法そのままの本格的ドイツパンと、俘虜たちのつくったソーセージを再現したカイザー・ヤクートブルスト等を組み合わせた特製スナックに、ドイツから直輸入のドリンクを加えての、毎回工夫を凝らした特別メニュー。文字どおり「鳴門マルディグラ」だけの逸品です。これだけでも、このイベントに参加する価値があります。
 今年も、「ドイチェス・フェストinなると」や「鳴門マルディグラ」を開催します。またその他にも、これから様々な魅力あるイベントを企画する予定です。これらのイベントに合わせてドイツ館を訪れるのも、ドイツ館の魅力を二重に味わうことのできる良い方法と思います。


来館者からの感想あれこれ

 ドイツ館2階の観覧芳名録に感想を書いて下さった方は、4月から7月までに約500名おりました。その方たちがドイツ館をどのようにご覧になったかを、感想やその想いからまとめてみました。
 一番多いのは、感動・感激・感無量などを表した文章です。松江所長の人道的な管理方針に、収容所でのドイツ兵俘虜の生活の様子や活動内容に、地元の人々との文化交流に、たくさんの当時の資料が保存されていることなどに感動され、「涙なくしては見られない感に打たれ、感謝の意を表します」(69歳)という文もありました。
 次に多いのは、知らなかった歴史を知った・勉強になったというような内容のものです。「教科書では学べないことが、ここにはありました」(23歳)、「触れた事のない数々の出来事を、勉強させて頂きました」(39歳)などの感想がみられます。
 人間愛・ヒューマニズムについて書いている方も多数ありました。「見終わった後、心が温かくなった」(83歳)、「人間味あふれる交流をしていたことを、誇らしく思う」(25歳)、「友愛が生み出すものの素晴らしさ」(36歳)などなど。
 音楽についての記述もあります。音楽や「第九」の素晴らしさ、「第九」を歌いたくなった、音楽に国境はない、忠臣蔵を聴いてみたいなどがそれです。ドイツに旅したことを思い出したり、ドイツに行きたくなったと書いておられる方もいます。
 小・中学生は、「第九」シアターの人形や、コミカルな生活の様子が画面に映写されるマジックビジョンが楽しいという感想が圧倒的でした。「難しい」が4人、他に「もっと悲惨な事かと思ったが、割と自由で日本の人とも仲良さそうでホッとした」(13歳)、「とても素晴らしくていい体験になった」(10歳)、「これだけ多くの資料や説明などを、もっと多くの人が見ればいいと思った」(11歳)などと書いている人たちもいました。
 多くの人に見てもらいたい、友人に話したといった感想は大人の方にも多く、ドイツ館の積極的なPRやドラマ化、映画化を望む声もありました。ドイツ館を作ったことに敬意を表す、ドイツ館の存在に意義がある、今後も大切に保存してほしい、何回も訪れたい、何度来ても新しい発見がある、今後の世界平和を願う、などの感想もたくさんありました。
 当館への注文・苦情としては、道路案内の設置(板東駅から、折野方面から、大麻比古神社からの)、2階の撮影を自由に、シアターの人形の動く音がうるさい、身障者用スロープが遠回りで不親切などの意見がありました。
 こうして感想欄をまとめていますと、一人々々が感じた熱い想いが伝わってきます。載せ切れなかった感想も、たくさんあります。芳名録に記帳して下さったすべての方々に、厚く御礼を申し上げます。
(大熊)


鳴門市ドイツ館周辺
−ゆかりの地−

・ドイツ兵の墓(ドイツ村公園内)

 ドイツ兵は3年近く板東俘虜収容所で生活しましたが、スペイン風邪などで9名のドイツ兵が亡くなり、板東以前に亡くなった2名を加えて、仲間たちの手で慰霊碑が建てられました。兵士達が帰国して以後、現在まで、地元の人々が花を供へ、冥福を祈り続けています。

・ばんどうの鐘

 日独友好と恒久の平和を願って、ドイツ産業連盟から寄贈された鐘です。「諸国民間の永久平和と友好のため」と、日独両国語で刻まれています。毎日3度、美しい鐘の音を響かせています。

・ドイツ橋(大麻比古神社本殿の裏)

 ドイツ兵が母国の技術を生かし、近くで採れる和泉砂岩を使って造られた高さ3.2mの石橋です。今も、当時のままの姿を残しています。

・船本牧舎

 ドイツ兵と地元の大工さんが協力し、5ヶ月間かけて建設されました。当時は乳牛や豚が飼育され、バターやチーズが作られていました。現在も建物は、当時のまま残っています。     (小倉,高山)

鳴門市ドイツ館(位置図)


ドイツ館への来客・手紙などから

ドイツ村公園(写真) この欄では、ドイツ館にお出でになつたりお手紙などを下さった方の中から、ことに大切と思われることをお伝えさせていただきます。
 5月末に、東大阪の森祐資さんからお手紙をいただきました。戦後の昭和22年に外地から引き揚げて来られ、少年時代の一時期を板東俘虜収容所跡の建物で過ごされました。お父さんはこれらの施設の初代寮長を務められ、昭和30年頃にはお父さんとご兄弟で、ドイツ兵慰霊碑への沿道に桜の苗木を植えられたとのことです。その桜は今は大きな並木に育ち、季節ごとにたくさんの人たちが花見を楽しんでおります。
 お手紙によりますと、草に埋もれていたドイツ兵慰霊碑に初めに気づかれ、お世話を始めたのは森さんのお父さんとのことですが、このことは今となりましては確認のしようもありません。おそらくたくさんの方々のご努力が、元俘虜の方々との交流の輪を広げる礎(いしずえ)となったのでしょう。
 そうした地域の方々のよい伝統は現在も引き継がれ、ドイツ村公園の整備や、去る7月8日に完成しました、収容所正門の復元などのボランティア活動にも活かされています。(次頁参照)
 なお森さんは、お年にもかかわらず現在でも医療の仕事に励んでおられるそうです。ご健勝をお祈りいたします。              (田村)

鳴門市ドイツ館行事案内板

場所 2階展示室

「大谷焼作品展」(写真)
「大谷焼作品展」

期間 9月6日(木)から10月2日(火)
     ●わんわん凧保存協会(藤中梅雄)
   10月6日(土)から10月28日(日)
     ●小・中学生絵画展(市内小中学生)
   11月1日(木)から12月2日(日)
     ●立体画[3D](徳岡朗子)
     ●アートフラワー展(古布)(山口光子)

 鳴門市ドイツ館2階展示室では毎月色々な特別展示を開催しております。
 展示企画を募集しておりますので、サークルで指導されている先生方、趣味でお稽古をしている仲間達の作品をどしどしお寄せください。

10月27日(土)28日(日)「第8回ドイチェス・フェストinなると」
 イベント内容はお楽しみに!楽しいことがいっぱいあります。
フェスト中の2日間は、先着500名様限定で、入館料と引き換えにオリジナルピンバッジをプレゼントします。開催ごとに色やデザインの違ったピンバッジを制作しますので、ぜひあなたの貴重なコレクションに加えてください。

 その他、ドイツ館では「大ホール」を利用した自主企画の催しを計画しております。
 「国際交流の促進に役立つ」ということが条件ですが、ご希望の方はご相談ください。
(江川)


お悔やみ

 去る2001年8月1日に、鳴門市ドイツ館史料研究会副会長の大和啓祐さんが、心不全のためお亡くなりになりました。享年72才でした。
 大和さんは、高知大学ご退官前年の1992年から、鳴門市の委嘱で板東俘虜収容所の所内新聞『ディ・バラッケ』の現代文字化に取り組んでこられました。と申しますのもこの新聞はいわゆる「ガリ版刷り」で作られており、当時ドイツで用いられていました古い筆記体で書かれています。この字体は現在では、ドイツ人でも年配の方しか読むことができません。まして日本人にはなかなか読み取ることがむずかしく、翻訳を始めるためにもこうした作業は不可欠でした。
 大和さんは得意のコンピューターを駆使してこの作業を進められ、すでに2,700ページに及ぶ全4巻の現代文字化を終えておられました。そのお蔭で私たち史料研究会は、これまで第1巻と第2巻の翻訳を終え、これからも残りの仕事を進めることができます。
 大和さんはまたこうした仕事の一環として、『バラッケ』各巻の「ドイツ語版」も作ってこられました。この試みはドイツ本国でもしだいに知られるようになり、高い評価を受けています。
 まだ『バラッケ』の翻訳も半ばで、さぞお心残りのことでしょうが、これまでのご業績に深く感謝いたしますとともに、ご冥福をお祈りいたします。
(田村)


編集後記

 遅まきながら、第1号の「館報」をお届けいたします。初めてのことでもあり総花的な内容になってしまいましたが、次回からは「ドイツ館」の特徴や行事等につきまして、少しずつ詳しくご紹介していきたいと思っています。
 今回は、市長と文化振興課の副課長以外は館内の職員が分担して執筆しました。年に3〜4回は出したいと思っておりますので、おいおい以前こちらにおられた方や、地域の方々にもご協力願うつもりです。その節は、よろしくお願いいたします。
 なお8月8日付けで、ドイツからローランド・シュルツさんが赴任いたしました。次号に自己紹介などをしていただきますが、日本語の上手な好青年です。ご来館の節は、お気軽に声をかけてあげて下さい。(田村)

『ディ・バラッケ第2巻』刊行
日本語版 3000円
ドイツ語版 4000円

『どこにいようと、そこがドイツだ』
(ドイツ館ガイドブック)
1000円

ドイツ村公園「門柱」開き(写真)
ドイツ村公園「門柱」開き


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